2011年04月12日

よい一日でしたか

もう明け方ですね。

ブログは、どういう存在なのかな、と、投稿をしようとする度におもいます。

個人ブログなので、主語は私、です。
初投稿には、立ち上げる違和感をつづっています。

はじめたのは、記録のため。
日記は3日続かない、携帯でブログアップは、徒然ながら4年目。

自転車旅中は、知り合った人たちへの、安否通信。
旅以降もそんな感じで。

公開してる分、日記のように赤裸々には書けず。
でも吐き出したい感情を、衝動的に載せることもあり。

基本的に、人の目を気にしながらなので、
なんだかなぁ…、恥ずかしいことをしてますね。

誰に投げるともなく、いや、誰かに投げている。
変なコミュニケーションに、お付き合いいただいてます。


白む空を見ながら、
近頃感じたことを。

やはり恥ずかしいと感じる話。

自分を救うストーリーばかりを、描いて進んできたな、とおもいます。
でも究極的に?、あらゆる生命体は、自分を救うストーリーを、基本的には歩んでいて、
それが結果として全体のために働いている、のだろうと、いうのが、今の私の感覚的な仮説。

だから、自分を救うストーリーを、恥ずかしいとおもうのは、
私のエゴなのかもしれない。

アニメーション映画の、銀河鉄道の夜、が好きです。

カムパネルラは、溺れた友達を救って、自分は川に沈むのだけど、
そんな彼も、それで自分を救ったのだろうと、私はおもう。

おかあさまは、ぼくをゆるしてくれるだろうか

近しい人は、きっと悲しいし、カムパネルラは、きっと苦しい。
カムパネルラをなくした、ジョバンニは孤独や無力感を負ったろうけど、
それを抱えて、やはりストーリーを続ける。

ごう慢になりたくない、と、おもいながら、
声高に、自分を救うストーリーを語ることは、
私には先の話だろうけど。

自分を救えない人は、相手のことも、誰かのことも、救えないだろう、と、
今はおもいます。

自分を救う行為が、誰かを救うことにつながるのを
ごう慢にも願って
びびりながら、足をすすめます。

あ〜
土にふれて
はだしでうたいおどりたいなぁ。

表現者の呼吸困難。

だけど、きっと今日もよい一日を過ごしています。
みなさまも、どうぞ、よき日を。
posted by かわら at 05:22| Comment(1) | 踊る百姓 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
素敵な文章。
自分もmixiで日記書くとき同じよなこと思っていました。

自分を救う方法ってそのまま自分以外を救う方法になるのかもしれませんね。
自分が満たされて初めて相手に分けてあげられる気がします。おなかだってそうだ。
Posted by BALTO at 2011年04月12日 10:13
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